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今年度は交流研修派遣ということで1年間「全○済」奈良県本部にお世話になっているのですが
東北地方太平洋沖地震の現場調査支援により第7次災害対応支援として5/4~5/11の8日間、仙台の宮城県本部を拠点として被災地の組合員さん宅へ訪問して参りました。
4日(水)朝6時の電車に乗り、なんばから空港リムジンバスに乗り継いで伊丹空港へ。第4次支援(4月上旬)の頃までは、仙台空港がまだ再開しておらず、山形まで飛行機で行ってそこから仙台まではバスだったそうです。また4月1週目までは電気水道はともかく、ガスがまだ復旧していなかったのでホテルの風呂にも苦労されたようでした。幸い空港もガスも復旧してまして、ラッキーでした。午後からオリエンテーションで(共済)契約者宅での調査の注意点や書類の説明、班長と庶務委員の役割分担を行いました。(このクールは西日本本部<四国・中国・九州の県本部から2名ずつ、中日本(関西・北陸)から県で2名、大阪10名、京都4名の応援でした。
5日(木)~10(火)現地調査と調査残務の毎日です。
私と同じ奈良県本部のHさんと2人で仙台市若林区エリアをまわりました。若林区は仙台中心地と荒浜(海岸地域)のほぼ中間に位置し、国道4号バイパス(東部道路)の東と西で損壊状況が大きく異なっています。海岸から3kmの地点まで1.5m以上の津波が押し寄せ、家も基礎ごと持っていかれ、人も車も流されたのでした。このバイパスのおかげでそれより西の家は床上浸水を免れました。
夕方時間があった日に多賀城(七里ガ浜)や荒浜へ連れて行ってもらいました。殆どの家屋は全壊、道も陥没したりヒビ割れで悲惨な状況・・・・見ていると悲しくなってきます。。
それでも無事調査を終え、火曜日の夕方には、宮城県本部の事務局がたの計らいで交流会もありました。といってもほとんど毎日私は主に大阪本部のメンバーと毎日仕事が終わったら飲みに行っていたので 交流をはかるのは苦労はいりませんでした。京都や和歌山、それと宮城本部の方々ともいろいろと話が出来てよかったです。そうとうバカもやりましたが・・(笑)
私だけが多分、交流研修派遣者で、応援の応援みたいな立場で、職員の中で知らない人ばっかりだったと思いますが皆さんよくしていただきました。
毎日思ったことは、被災(家屋損壊された組合員さんが、「(共済金を)、受け取れるだけでも有難い。私たちは命があるだけでも幸せと思っている。 もっと大変な家を流されたりしたお家へまわしてあげてください・・・」とおっしゃったことでした。
自然災害共済(地震保険)というものは、損害額まで全部補償されることはまずないものなのに・・・・
この先大きな地震が繰り返し来ないことを願っています。
まだ、契約者の調査訪問や、給付件数は宮城では7500/15,000ほど。 岩手・茨城・福島・千葉などを入れても半分を超えたばかりです。他府県からの応援活動がまだ続いていますが、またお呼びがかかれば、1件でも多くのお宅をお伺いして少しでもお役に立てたらと思っています。